柄沢県議インタビュー

【柄沢正三県議】

《プロフィール》
柄沢正三県議は、三島郡和島村(現在の長岡市)のご出身です。昭和29(1954)年生まれの63歳。国会議員の秘書をつとめた後、40歳のときに県議会議員に初当選しました。
柄沢先生は、県のサッカー協会の会長でもあるため、この日お話はビッグスワンでお伺いしました。

牛島くん
川端さん
政治家になろうと思ったきっかけはなんですか。
柄沢県議 私は、田中角栄先生に憧れていました。それが、政治に目覚めたきっかけですね。それから、地域の夢をみなさんと一緒に考えたいと思うようになったんです。それで政治家を志した、ということですね。
牛島くん 仕事をしていて、一番やりがいを感じるのはどういうときですか。
柄沢県議 地域のみなさんから、夢とか希望とか利便性に関してとか様々な要望をいただくんですね。それを政治の中で実現できたときは、みなさん喜んでくれる。その顔を見たときはやっぱり政治を志してよかったなと実感しますね。人が喜ぶ顔や喜ぶ姿を見るとすごく、自分にとっても嬉しいんですよ。
牛島くん その中でも特に、こんな時が一番うれしかったというエピソードはありますか。
柄沢県議 嬉しかったと言うよりも、なんとかみんなで頑張ったなということがあります。災害のときは特にそうですね。例えば10数年前の中越地震の時は、余震が続く大きな不安の中で、一刻も早くなんとかしなくちゃいけないと。当時、知事に就任したばかりの泉田知事と、復旧復興、避難してる方々の対応を全力で、寝食も忘れてやりましたね。
川端さん 震災のときは大変でしたよね。
柄沢県議 大変でしたね。なんとかそれを頑張って、皆さんも頑張ってくれて、復旧復興が早く出来ました。そんな思い出として残っています。災害など、いざ有事のときは、やはり政治の真価が問われるときですから。
川端さん 私も中越地震を経験しました。その時はちょうど母が出かけていて、妹と二人で留守番をしていました。市内でも結構強い揺れだったのを覚えています。とても怖くて、母の方も急いで帰ってきてくれました。「大丈夫だった?」って。現地の方は、もっと怖かったんでしょうね。柄沢先生も、実際に現地には行かれたんですか。
柄沢県議 行きましたよ。地震の直後、まだ余震の続く中ね、それぞれの地域を回っていました。停電している夜中もずっと、現地を見たり、役所のほうに行ったりしましたね。
川端さん どんなことを感じましたか。
柄沢県議 とにかく本当に大変だなと。避難している方々の不安をね、一日も早く払拭したいと、復旧を急ぐように頑張らなくちゃ、と思いましたね。
川端さん 政治的な観点で、これから新潟にこういうことが必要だなとか、どういった物が必要だなって、そういうものはありますか。
柄沢県議 今の一番大きな課題は、やはり人口減少問題。この問題に対応していかなければなりませんね。国もそうだけど、自治体が主にやっているのは子育て支援。もちろんこれは絶対にやるべき大事なことです。でも、もう一つ大事なことがあって、それは子育て支援の前の段階。つまり、結婚しない、できない、若者たちのことです。
牛島くん なるほど。結婚する人が減っているって聞きますもんね。
柄沢県議 結婚していない人たちに、調査機関がアンケートをしたら、8割は結婚したいと答えた。でも、所得がないから出来ないと。こういう若者がいかに多いか、私は気づいたんです。子育てに到達できない、この大きな問題を是正しなきゃならんと。若者の所得の向上を、政策でなんとかしなきゃならない。このことを数年前から真剣に考えているんです。
川端さん そのために、そんなことが必要だと考えているのですか。
柄沢県議 新潟県は、様々なものづくりが盛んなところですから、産業の付加価値がつけられたらいいなと。航空宇宙産業、AI、人工知能、IoT、医療機器など、あらゆる分野のものづくりに付加価値をつけて、さらに伸ばして、結婚適齢期の若者の皆さんの所得を増やしたい。私は、こういう願望を持っています。
牛島くん 産業のお話が出ましたけど、他にも、新潟に必要なことはありますか?
柄沢県議 あとはね、新潟県の拠点や、新潟港、東港、新潟空港の新幹線乗り入れなどについて考えていますよ。北陸新幹線は完備しましたし、柏崎から長岡までの新幹線のこと、羽越新幹線、上越新幹線についてなんかも。それから道路網を更に整備して、利便性を向上して拠点化することができれば、新潟空港を、群馬や埼玉の人たちにも利用していただくことが視野に入ってくる。
川端さん え、そうなんですか!
柄沢県議 ええ。群馬県の県会議員のみなさんに新潟空港を視察していただいて、意見交換をしたんですよ。羽田や成田よりも、新潟空港のほうが近いんだそうです。だから、埼玉、大宮あたりまでは、新潟空港の利用が視野に入るんじゃないかな。そのためには、新幹線の空港乗り入れがしたいんです。それに、今、2500mある滑走路が、3000mちょっとまで伸びると、ヨーロッパまでいけますよ。
牛島くん 新潟空港からヨーロッパまで行けるんですか
柄沢県議 ええ。2500mでも、今のボーイング787を使えば、ヨーロッパまで行けるんですよ。機体が軽量ですから。
牛島くん
川端さん
へえ~!
柄沢県議 そういうことも視野に入れてね、そういう夢を実現できればいいな、と思ってます。
川端さん 私も冬に海外に行ったんですけど、一回東京に行ってからだと、全部で13時間ぐらいかかっちゃって、結構辛かったです。新潟からそのままヨーロッパに行けるとなれば、ちょっと海外に出てみようかなって気持ちになりますね。
牛島くん 海外旅行は、韓国と台湾に行ったことがあります。卒業旅行でヨーロッパに行きたいと考えているんですけど、そのときはやっぱり、一回東京に行くと思います。
川端さん 政治的なところから、スポーツを支援したり、関わりを持ったり、そういうこともあるんでしょうか。
柄沢県議 スポーツっていうのはやはり、大事な部門であります。教育的な観点から見ても、スポーツに関する取り組みを強化すれば、学力の向上にもつながりますからね。
川端さん 確かにそうですね。
牛島くん 柄沢先生ご自身は、学生時代にサッカーはされていたんですか。
柄沢県議 若い頃は、少しやりました。子供の頃や若い頃は、なんでもやりましたよ。スキーも草野球なんかもやりました。水泳と言うかね、ダイビングなんかもやったし、魚釣りもよく行きましたね。でも、最近は忙しくて、スポーツもたまにゴルフに行くくらいですね。
川端さん お休みの日は、なにをなさってるんですか。
柄沢県議 なかなか休みも取れなくて。特に、土日は結構行事も入ってきますしね。
牛島くん 一日のスケジュールはどういうふうになっているんですか
柄沢県議 朝はそんなに早くないんだけど、夜はどんどん会合が入ります。その後も、公務のような会合もあるし、自分の後援会の集会も多いですね。
川端さん 県議会議員って、私達からすると、あまり身近な存在ではなくて、ちょっと遠いなって感じがするんです。反対に、議員の先生から、若い人たちってどう見られてるのかなっていうのが気になっています。どういうふうに感じてるのかなって。
柄沢県議 そうですね。よく、選挙のたびに、投票率が議論されますよね。客観論でいうと、世界的にみても、若者が政治に非常に強い興味を抱く時代っていうのは、なかなか、歴史的にも難しい時代が多いんです。
川端さん 確かに、そういう歴史がありますもんね。
柄沢県議 当然、政治に不満を抱けば、投票率は上がります。自分の生活が、なかなかうまくいかないとなれば、自ずと政治に興味を抱く。世界共通だと思います。投票率が下がるのを放って置くつもりはありませんよ。でも、今の日本は、まあ、いろいろ問題点はあるけど、そこそこ経済力もあって、あまり食うに困りませんね。これは、政治がうまくいっている証だからと私はそのように見てます。
牛島くん
川端さん
うん、うん。
柄沢県議 別な見方をすると、平和で、経済的に豊かな日本なのかなと、私はそう思っていますね。一概に若者が政治離れしてるからだめだとか、一方的に、短絡的に語るものじゃないんじゃないかな。
牛島くん そういう見方もあるんですね。勉強になります。
柄沢県議 中国の古典というか、古代史にね、鼓腹撃壌の歌(こふくげきじょうのうた)っていうのがあるんですよ。時の帝が諸国を歩いて、自分の治世がうまく行ってるかどうか、お忍びで諸国を回った。ある村へ行ったら、村人が腹鼓をして歌っていた。「我々は今、平和で、食べ物も豊富に取れて、何不自由無く、本当に満足している。この時代に、帝の力はいらない。」そういう歌でした。これを見た帝は、満足して帰っていったという話です。私はこれを政治の原点だと思っております。
川端さん 確かに、さっきのお話と似ていますね。
柄沢県議 国民や民衆に政治権力を感じさせないこと。政治の原点だと思いますよ。もう一つは、上杉鷹山公の伝国の辞。これも本当に素晴らしい。あの時代に、民主主義の思想をしっかりともっているんです。要は、政治権力は私してはならないと言うことだ。
牛島くん 選挙のときに、票を集めるのは大変ですよね。
柄沢県議 選挙はすごいエネルギー使いますからね。大変ですよ。
牛島くん どういう活動をされるんですか
柄沢県議 ひとりひとりみんなに握手したり、今みたいに1対1で私の考えていることをお話したりできる時間があればいいんですけどね。なかなかそういう時間は取れません。だから、マスメディアを通じたり、後援会の役員の方々の力を借りたりしますよ。口コミで、私の考えていることや政策をお伝えするんですね。こういう作業をして、初めて選挙で当選できるんです。
川端さん みなさんにお話を伝えるときに、特に大事にしているということはありますか
柄沢県議 おしなべて大事なのはやはり、気持ち。心を大事にできるかどうかですね。選挙っていうのは、相手の真心をいただくことに通じます。嘘のない、誠実な、真摯な対応をして、私の考えている政策、やりたいことを皆様にわかっていただく。この積み重ねだと思います。
川端さん ちょっと変な質問なんですけど。もしも、私たちが政治家になるとしたら、どんなアドバイスをいただけますか
柄沢県議 政治に出るんだったら早いほうがいいですね。早く頑張ってもらいたい。大事なことは、人の幸せとはどういうことなのか、また、それがイコール地域の幸せになるのかということ。血の通った、あたたかい政治をやれるかどうかですよ。
川端さん 若い頃から地域の幸せを考えることが大切なんですね
柄沢県議 それから、自分よりも強いもの、政治権力よりもこわい何かを自分で持ってないとダメ。権力に打ち勝つ、自分を律することのできるものを心に持ち続けるんです。神様でも仏様でも、太陽でもいいですよ。常に自分を俯瞰的に見て、評価する。これが政治家の大事な原点だと思います。権力に、溺れたりしてはいけませんから。
川端さん 柄沢先生は、民間企業にも勤められて、仕事をされたんですよね。その経験が活きたって感じた瞬間はありますか。
柄沢県議 うん。民間の経験は、あった方がいいですよ。役所はね、物の生産をするところじゃないから、資本主義の概念はあまりないんですね。だから、現場でね、生産活動の概念をしっかりと熟知しているのとしないとでは全然違います。
牛島くん ちなみに、議員になる前は、どんなお仕事をされていたんですか。
柄沢県議 私は建築関係をちょっとやっていました。だけど、建築に限らずどの分野であっても、自分で汗を流した経験則の中で、税金を払うことを感じているかどうか。これは大事です。政治家になって、課税システム自体の原理がわかりますからね。
川端さん 政治家をやってて、建設関係に戻りたいって思ったことはないですか。
柄沢県議 いや、それはありませんね。もう一回、若くなりたいと思ったことはあるけど。若さっていうものはね、何物にも代えがたい大事な大事なもので、宝物です。
川端さん 若い時に、失敗したなっていう経験はありますか。
柄沢県議 しょっちゅう失敗していましたよ。今でも失敗することはいっぱいあります。でもね、失敗は成功のもとといいますから。成長の糧だと思います。失敗のないところに成長なしとはよく言ったもので、まさしくその通りだ。
牛島くん 学生時代ってどんな方だったんですか。
柄沢県議 皆さんと同じころは、まあ、さまざまね。勉強もやったけどお酒を飲んだり遊んだりもしてましたよ。それから、夢を持っていましたね。若さは素晴らしいことだから。
川端さん 学生時代、何か熱中したことはありますか。
柄沢県議 熱中したものは、まあいろいろありますよ。昔は良く麻雀なんかやってましたね。今の若い人はあんまりしないかな。
牛島くん はい。今は、ゲームをして遊ぶことが多いです。
牛島くん これから新潟をこういう風にしていきたいということを教えていただけませんか。
柄沢県議 一つはそうだね、さっき言ったように、若者が所得を確保して、定住できるように、県民所得は直さなきゃだめだ。新潟県まだまだ低い。県民所得が上がれば、例えば、医師不足とかそういういろいろな問題が、大体解決できますよ。とにかく経済ですね。所得のアップをまずやらなきゃダメ。
牛島くん やっぱり、経済のことは大きな課題なのですね。
柄沢県議 そして、経済活動に関わって、利便性の向上もやらなきゃいけませんね。それが一番になる。これもさっき言ったように、拠点性の向上とか、道路網の整備とか、港湾、空、この辺は経済がついて回りますから、整備していかなければね。
川端さん 一口に経済と言っても、いろいろなことを考える必要があるのですね
柄沢県議 もう一つ夢を語れるならば、新潟県に住んで、東京の大手町に通える。居を構えるのは新潟、仕事は東京という時代が来ると思うよ。毎日出勤するのではなくて、週に半分とかね。
牛島くん ええ。そんな事ができたら、すごいですね。
柄沢県議 だから、新幹線のスピードアップも目指したい。今新潟駅から、東京まで2時間かかるけど、これを15分でも、20分でも短縮してもらう。そういうことができれば、本当に、新潟に住んで、東京に仕事に行くという時代が必ず来ると思うから。そういう考え方をこれからはするべきだと思いますよ。
牛島くん
川端さん
ありがとうございました。

(2018年05月08日 デンカビッグスワンスタジアム にて)